究極の開運法を行う [不思議]
2月9日(木曜日)
今朝は、古くは中国の『三国志』で活躍した諸葛孔明が戦略に用いたと伝えられる方位術の奇門遁甲の造作を行った。運命を自らの願望に積極的に改善したい時や、難問を解決したい時に主として用いられる占術である。
具体的には、目的と用途に応じて使用する占盤を使い分け、選定した時に、目的に合わせた方位を利用することによって願望を達成させようとする開運法である。
今回は、自宅の庭の目的の坐山吉方位に「羅経」と他の資材(造作物)を地面に埋める方法である。
(造作物及び造作法は、使用方位盤によって全て違って難解)
使用方位は、北4局 丙 英 2
丁 開 天
使用材料である・・・
まず、穴を掘り羅経を入れる
格子状に木材を配置
次に、五穀を入れ
最後に、薬草を入れ労水をかけ埋め戻し完了。
奇門遁甲の造作法は非常に効果が得られる占術であるが、一歩間違えると影響(凶作用方位使用した場合)もあり、戦術的に勝ち取る占法と捉えた方が良いだろう。
以前から、多くの人から依頼があり施術を行っているが、効果の程は非常に良いが費用的に高めになるので余裕があればお勧めの方法である。
今回の造作は、居ながらにして開運させる座山方位だが・・・奇門遁甲には、目的と用途に応じて立向方位を利用する方法もある。
いずれにしても、非常に難解であるが不思議と効果の得られる方法である。
今回は・・・
石がゴロゴロと出て来て 穴掘り疲れたが何とか終了。
奇門遁甲の歴史(参考)
奇門遁甲の歴史は、先史時代(紀元前2500年頃)の伝説上の帝王である黄帝の時代にまでさかのぼります。伝説によれば、黄帝の夢の中に九天玄女が現れ、奇門遁甲の書を授けたそうです。黄帝はこの授かった方術を駆使し、敵を討伐したと言われています。 その後、殷の時代になると、武王が奇門遁甲の使い手である呂尚(太公望)の助けを借りて殷を滅ぼし、周が建国されることとなります。この時使われた奇門遁甲は、無敵の力を発揮したことから、戦後周の宮廷深くに蔵され見ることも持つことも禁じられてしまいました。 時は流れ紀元前206年、秦の滅亡後に劉邦が現れます。劉邦の挙兵にあたり、黄石公という老人より奇門遁甲の真伝を得た張子房が、奇門遁甲をもって彼を補佐し、漢建国に導きました。この張子房は奇門遁甲を完成させた人物と言われています。 漢代になると、周代同様、再び奇門遁甲の真伝は宮廷深くに蔵され、見ることも持つことも禁止にされました。この時代には、奇門遁甲の真伝を盗み出そうとするスパイも増えたため、漢は奇門遁甲の誤った理論をわざと流し、漢のみの繁栄を図っていたそうです。 その後、後漢が滅亡し三国時代を迎えると、諸葛孔明が登場してきます。諸葛孔明は、天文・地理に精通していた人物で、蜀の劉備に迎えられ、奇門遁甲により百戦百勝し、領土を飛躍的に拡大していくこととなります。この諸葛孔明がまとめたものが『奇門遁甲統宗大全』と呼ばれる書で、奇門遁甲の代表的な書となりました。 奇門遁甲で、現存する最も古い文献は、宋代の趙晋が書いたといわれる『煙波釣叟歌(えんぱちょうそうか)』です。現在知ることのできるすべての著作が『煙波釣叟歌』を基本論理としており、この書をもとに明代の奇門遁甲も形成されたと考えられます。 明代になると、劉伯温が『奇門遁甲秘笈全書』を編集、出刊し、現在でもその書を手にすることができます。劉伯温は、明朝の大臣であり、四柱推命の聖典である『滴天随』に原註を施したほどの人物でもあります。この『奇門遁甲秘笈全書』は、当時巷間に流布していた奇門遁甲関連の書、歌訣を集めたもので、30巻にも及びます。 中国の歴史の中で紀元前から脈々と生き続けてきた奇門遁甲は、推古天皇の602年に百済の僧「観勒(かんろく)」により、朝鮮を経て日本に伝えられました。『日本書紀』には、「百済の僧、観勒(かんろく)来けり。よりて暦の本及び天文地理の書、あわせて遁甲方術の書をたてまつる。是の時に書生三十四人を選びて、観勒に学び習はしむ」という記載が残っており、観勒(かんろく)が日本への貢物として『暦本』・『天文地理書』・『遁甲方術』などの書籍を朝廷に献上したことが窺い知ることができます。この中の『遁甲方術』は奇門遁甲のことです。この『遁甲方術』は、戦略の道具として秘かに伝えられていくことになります。 江戸時代には、「奇門大全」という書が存在したといわれ、また、由井正雪が慶安の変を起こした際、軍学の一部として遁甲方術を応用したともいわれています。 明治時代には、栗原信充著「遁甲提要」「遁甲儀」「遁甲譚」、多田鳴鳳著「八門遁甲秘録」、松浦琴鶴著「奇門秘録」、立川小兵衛著「遁甲奇門」、犬山龍叟著「八門遁甲陰陽発秘」、柄澤照覺著「八門遁甲秘伝」等が発刊されました。 しかし日本では、奇門遁甲は余りにも難解であるため、日本で独自に発展した気学の隆盛を見るに至り、徐々に奇門遁甲は失伝していくこととなります。 その後、昭和40年代に気学家が集まり、台湾の張耀文氏を日本に呼ぶことになります。この張耀文氏の透派奇門遁甲は日本において一大勢力となり、現在の日本の奇門遁甲の最大流派となりました。 現在では、本場の台湾・香港の奇門遁甲も広く日本に伝わり始め、様々な流派が存在するかたちとなっています。
開運するって良いな~と思う方、プチッとよろしく→
今朝は、古くは中国の『三国志』で活躍した諸葛孔明が戦略に用いたと伝えられる方位術の奇門遁甲の造作を行った。運命を自らの願望に積極的に改善したい時や、難問を解決したい時に主として用いられる占術である。
具体的には、目的と用途に応じて使用する占盤を使い分け、選定した時に、目的に合わせた方位を利用することによって願望を達成させようとする開運法である。
今回は、自宅の庭の目的の坐山吉方位に「羅経」と他の資材(造作物)を地面に埋める方法である。
(造作物及び造作法は、使用方位盤によって全て違って難解)
使用方位は、北4局 丙 英 2
丁 開 天
使用材料である・・・
まず、穴を掘り羅経を入れる
格子状に木材を配置
次に、五穀を入れ
最後に、薬草を入れ労水をかけ埋め戻し完了。
奇門遁甲の造作法は非常に効果が得られる占術であるが、一歩間違えると影響(凶作用方位使用した場合)もあり、戦術的に勝ち取る占法と捉えた方が良いだろう。
以前から、多くの人から依頼があり施術を行っているが、効果の程は非常に良いが費用的に高めになるので余裕があればお勧めの方法である。
今回の造作は、居ながらにして開運させる座山方位だが・・・奇門遁甲には、目的と用途に応じて立向方位を利用する方法もある。
いずれにしても、非常に難解であるが不思議と効果の得られる方法である。
今回は・・・
石がゴロゴロと出て来て 穴掘り疲れたが何とか終了。
奇門遁甲の歴史(参考)
奇門遁甲の歴史は、先史時代(紀元前2500年頃)の伝説上の帝王である黄帝の時代にまでさかのぼります。伝説によれば、黄帝の夢の中に九天玄女が現れ、奇門遁甲の書を授けたそうです。黄帝はこの授かった方術を駆使し、敵を討伐したと言われています。 その後、殷の時代になると、武王が奇門遁甲の使い手である呂尚(太公望)の助けを借りて殷を滅ぼし、周が建国されることとなります。この時使われた奇門遁甲は、無敵の力を発揮したことから、戦後周の宮廷深くに蔵され見ることも持つことも禁じられてしまいました。 時は流れ紀元前206年、秦の滅亡後に劉邦が現れます。劉邦の挙兵にあたり、黄石公という老人より奇門遁甲の真伝を得た張子房が、奇門遁甲をもって彼を補佐し、漢建国に導きました。この張子房は奇門遁甲を完成させた人物と言われています。 漢代になると、周代同様、再び奇門遁甲の真伝は宮廷深くに蔵され、見ることも持つことも禁止にされました。この時代には、奇門遁甲の真伝を盗み出そうとするスパイも増えたため、漢は奇門遁甲の誤った理論をわざと流し、漢のみの繁栄を図っていたそうです。 その後、後漢が滅亡し三国時代を迎えると、諸葛孔明が登場してきます。諸葛孔明は、天文・地理に精通していた人物で、蜀の劉備に迎えられ、奇門遁甲により百戦百勝し、領土を飛躍的に拡大していくこととなります。この諸葛孔明がまとめたものが『奇門遁甲統宗大全』と呼ばれる書で、奇門遁甲の代表的な書となりました。 奇門遁甲で、現存する最も古い文献は、宋代の趙晋が書いたといわれる『煙波釣叟歌(えんぱちょうそうか)』です。現在知ることのできるすべての著作が『煙波釣叟歌』を基本論理としており、この書をもとに明代の奇門遁甲も形成されたと考えられます。 明代になると、劉伯温が『奇門遁甲秘笈全書』を編集、出刊し、現在でもその書を手にすることができます。劉伯温は、明朝の大臣であり、四柱推命の聖典である『滴天随』に原註を施したほどの人物でもあります。この『奇門遁甲秘笈全書』は、当時巷間に流布していた奇門遁甲関連の書、歌訣を集めたもので、30巻にも及びます。 中国の歴史の中で紀元前から脈々と生き続けてきた奇門遁甲は、推古天皇の602年に百済の僧「観勒(かんろく)」により、朝鮮を経て日本に伝えられました。『日本書紀』には、「百済の僧、観勒(かんろく)来けり。よりて暦の本及び天文地理の書、あわせて遁甲方術の書をたてまつる。是の時に書生三十四人を選びて、観勒に学び習はしむ」という記載が残っており、観勒(かんろく)が日本への貢物として『暦本』・『天文地理書』・『遁甲方術』などの書籍を朝廷に献上したことが窺い知ることができます。この中の『遁甲方術』は奇門遁甲のことです。この『遁甲方術』は、戦略の道具として秘かに伝えられていくことになります。 江戸時代には、「奇門大全」という書が存在したといわれ、また、由井正雪が慶安の変を起こした際、軍学の一部として遁甲方術を応用したともいわれています。 明治時代には、栗原信充著「遁甲提要」「遁甲儀」「遁甲譚」、多田鳴鳳著「八門遁甲秘録」、松浦琴鶴著「奇門秘録」、立川小兵衛著「遁甲奇門」、犬山龍叟著「八門遁甲陰陽発秘」、柄澤照覺著「八門遁甲秘伝」等が発刊されました。 しかし日本では、奇門遁甲は余りにも難解であるため、日本で独自に発展した気学の隆盛を見るに至り、徐々に奇門遁甲は失伝していくこととなります。 その後、昭和40年代に気学家が集まり、台湾の張耀文氏を日本に呼ぶことになります。この張耀文氏の透派奇門遁甲は日本において一大勢力となり、現在の日本の奇門遁甲の最大流派となりました。 現在では、本場の台湾・香港の奇門遁甲も広く日本に伝わり始め、様々な流派が存在するかたちとなっています。
開運するって良いな~と思う方、プチッとよろしく→
2012-02-09 11:01
nice!(2)
コメント(5)
トラックバック(1)
とっても、難解なお話です。理解不能で~す!(笑)(^▽^)
レウゥンさんのお庭に埋められたのですね。(*^_^*)レウゥンさんが、穴を掘ってる姿を、想像してますよ。(^.^)明後日あたり、筋肉痛ですかねぇ!ご苦労様でした。(*^_^*)
草が生えているんですね。こちらは、雪に埋もれてます。(;。;)例年になく、雪が多いです。でも、通勤は大変ですが、室内で仕事が出来ていることが、とても、ありがたいです、(*^_^*)
by あゆさこ (2012-02-09 19:13)
あゆさこさん
確かに奇門遁甲は難解ですので、ちょっとかじっただけでは難しいですが効果は得られますね!
穴を掘るのは、罠の設置で慣れていますので大丈夫ですが、今回埋めようと思っていた所を掘りましたら大きい石があり断念。
隣接の大家さんの畑に埋めちゃいました。
by レウゥン (2012-02-09 21:39)
いつも、拝見しています!!
今回のブログ内容は非常に興味が出ますね!!
レウゥンさんらしいです(笑)
by isa/博多 (2012-02-10 19:13)
isa/博多さん
そうですか
この遁甲は、余り聞きなれない占術ですが気学の綿密番みたいなものです。
遁甲を知っていると怖がられる事もあるんですが・・・
ある人から聞いたのですが、バブル時には裏で遁甲が大分使われていたようですね・・・怖いです!
by レウゥン (2012-02-10 21:26)
そうなのですか!!かなりの数の事が行われていたのですかね?
奇門遁甲と言えばなぜか、忍者のイメージが涌いてしまうのですよ。
また不思議な記事期待しています。
by isa/博多さん (2012-02-11 08:20)